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Channel: 音盤再生家の音楽話
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ベートーヴェン交響曲第5番と云う難関

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十日間程完全に寝込んで仕舞った。ワシも此処迄かと思う程、どうにも起き上がる事も出来なかった。やっとPCに向えるようになったので、今の内に書くべき事は書いて置きたい。

前記事でShuさんが中々に鋭いコメントを入れてくれた。
音盤の再生によって、演奏の評価も違って来るのではないか、と云う誠に的
を得た意見だ。
評論家なる者が、これは名演だ、とか、これは駄演だと言うのは勝手だが、
奴等は如何なる再生音を聴いて判断して居るのか、或いは、如何なる音源を聴いて居るのか。此処に関しては一切触れられて居ない。
要するに同じ音盤を聴いて居ても、皆違う音を聴いて居るのである。
装置によって、或いは部屋によっても聴いて居る音は違う。況や再生手腕に
よって、折角の高価な装置も充全な効果を発揮出来無い事を理解すべきなんである。
更に厄介な事に、レコードでもCDでも、盤による差が歴然と現れて仕舞う
のである。
これに関しては、前記事でカラヤンの悲愴の英EMIオリジ盤を取り上げ、サラ
ッと解説した。
で、今回はベーム/VPOのDG盤、ベートーヴェンをちゃんと堪能しまし
ょう、と云うお話である。

gustav師匠の最近の記事で、ベーム/VPOのDG盤ベートーヴェンはシックリ来ない、と述べられて居る。
処が私は随分以前から、ベーム/VPOのヘルマンス録音は人類の宝、と明
言して止まない。これは如何なる事であろう。
恐らくは、音盤による差があるに相違ない、と睨んだ。
gustav先生、多分CDしか聴いた事が無いのではなかろうか、と察した訳で
ある。斯く言う私にしても、ベームのCDは絶対に聴かない。私だって色々試して居るのである。
その昔、アートンと云うCDの素材が出て大層評判になった。私も早速ベー
ム/VPOの名盤、ベートーヴェンのパストラルのアートン盤を購入した。
これが全くのクソなのである。これでは何が名演なのか解ったものではない
。矢張り真価が理解出来るのはLP、しかも初期盤なのである。
記事を構想に入れ乍ら、ベームの第5のオリジ盤を取り寄せた。人気が無い
所為か安いのである。
DGの国内盤LPも、初盤は概ね良い音がする。音に艶が有るのである。C
Dと云う奴は概ね音の艶が減じる。これはフォーマットの所為で仕方が無い。私も国内盤の初盤を持って居るが、オリジ盤との差を確認したくなったのである。
そもそもヘルマンスの仕事と云うものの特徴は、音の艶なんである。克明に
個々の楽器の音を拾って居るが、それが余韻を持って、空間に放出される。
これが独特の艶であり、私を魅了して止まないヘルマンス・マジックなのだ。
此れを踏まえて、御読み、御聴き戴きたい。

今回は体調の事もあり、自分の原点に戻ってみようと思った事もある。
私の音楽鑑賞の原点は、トスカニーニの第5であったと思う。理由は単純で
、当時巨匠と呼ばれて居たトスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーの中で、一番の年長者がトスカニーニで、何しろ一番偉そうであったからだ。
しかし、私はこの大層立派な「運命」には然程感銘は受けなかった。
ああ、これが「運命」かと腑に落ちて聴き捲ったのはフルヴェン先生の47
年盤、かの有名なEMIのスタジオ録音である。
今にして思えば、第5はこの一枚があれば充分であろう。それこそ耳タコに
なるまで刷り込んだ第5であるが、これ以上立派な威容を備えた第5は他には皆無である。此れを以て私の原点としよう。
曲が曲だけに、挙げれば幾らでも出て来てしまう。今回は、これぞ第5、と
云うべき代表的な7種を挙げる。この7種を繰り返し聴くだけで、第5は充分堪能出来るものと思う。
幾らでも増えてしまうので、基本中の基本であるフルヴェン盤以外はステレ
オ録音とした。私の最も好むクライバー親父/コンセルトヘボウ盤も、体力の関係でカットした。
そしてデジタル時代は一切カットである。第5は50~70年代が頂点で、
後は衰退の一途を辿っているような気がするのだ。
超有名曲で、名盤揃いである。瞬く間に削除される事が予想されるので、一
瞬を逃さず御聴き戴きたい。




フルトヴェングラー/ウィーン・フィル 54年録音 EMI盤CD
これは一等最初のCDであった。処がこのCDは驚天動地の高音質なのである。オリジナルマスターからのCD起こしらしいが、悔しいがこればかりはどんなレコードよりも良い音がする。兎に角、出だしの4音を聴いた瞬間おっ魂消た。毛唐はこんな素晴らしき音を聴いて居たんだと、改めて敗戦の意味を噛み締めた。
初心者の方は虚心坦懐に、ベテランの方も襟を正して今一度この「原点」に聴き入って欲しい。これがベートーヴェンの第5である。
フルヴェン先生の第5の音盤は十数種もあるらしいが、私はこれが完成度に於いて随一だと思う。如何なる反対派もこの演奏の前には頭を垂れそうな威厳である。





コンヴィチュニー/ゲヴァントハウス管 60年録音 PHILIPS盤LP
この音盤、全集の中の一枚で、片面に無理やり切り込んである所為か音の伸びに欠ける。同じ60年録音でも3番、6番は両面カッティングなので良い音がする。極めて残念だ。
色々調べてはみたが、録音エンジニアは定かではない。Dieter-Gerhardt Wormと云う説もあるが、この人がプロデューサーとして絡んで居るのは確かだが、実際のETERNAのエンジニアの名前は定かではない。マズア以降は確実にシュトリューベンだと云うのは判っているのだが…兎に角MONO末期、ステレオ初期の東独の録音は怪しいものが多い。
コンヴィチュニー楽長の第5はゴツゴツ感が堪らない魅力だ。スコア上このモチーフはこうなってこうなる、と云うのが手に取るように聴こえて来る。
そして矢張りこのオケは上手い。個々の技量と云うよりオケとして上手い。
ベートーヴェンの第5と云うのは、こうしてやりなさい、と云う鑑の如き演奏である。




イッセルシュテット/ウィーン・フィル 68年録音 LONDON盤LP
DECCAとしての初のVPOでのステレオのベートーヴェン交響曲全集である。
この音盤も数枚所有しているが、今回の収録は全集盤からである。何度も言って居るが全集盤はZALスタンパー入で音が良い。全集盤で音が悪いのは9番である。この5番は概ね問題は無い。
これも耳タコの演奏で巷間の評判も頗る良い。しかし、何か今一つなんである。
これでどうだ、と云う感じは良く伝わって来る。文句の付けようもない、隙の無さである。しかし、フルヴェン先生のような高揚感も、コンヴィチュニー楽長のような郷愁感も薄い。
将に第5に於ける完璧な優等生なのである。しかしVPO一番の武器であり、特徴である色気が足りない。
全集の中ではこの5番と8番のエンジニアはケネス・ウィルキンソンである。
どうもこの人、名前とは真逆でカミソリの如き切れ味が無い。パリーのような高揚感とか、ロックのような色気が足りない。一連のショルティはウィルキンソンの録音で、ドライな感じがショルティとマッチしていたが、イッセル親父はNDRの創設者で、根っからブラームス向きの渋好みである。色気の無い事この上無い。しかし、第5と云うキチキチの曲だから、これはこれで貫徹された名演と言えるのである。




C・クライバー/ウィーン・フィル 74年録音 DG盤LP
最初は戸惑って居たショルティ/シカゴの第5に漸く慣れて聴ける様になった頃、突然C・クライバーの第5が登場し世間の話題をカッ拐って行った。
当初、評判が良いと云う感じでは無かったと思う。当惑したのである。
カラヤンやショルティは、何処かトスカニーニを引き摺って居たのだが、C・クライバーの第5は、親父クライバーでもフルヴェン先生でも無く、C・クライバー独特の新たな視点での表現なのだ。
中々に強い表現である。この強さは力任せではない。充分に撓り弾ける鞭の如き強さだ。MAXの迫力は親父には及ばないものの、全曲を通じて弾ける鞭の鋭さは、聴き慣れて来ると一種の快感に変わる。
録音エンジニアはシュヴァイクマンで、私はこの人の音作りは好きになれない。徹頭徹尾人工的なのである。
レコードによる音楽であるから、この手の技法も有りだとは思うが、私はヘルマンス好きであるから違和感が拭えない。
しかし、C・クライバーの第5は録音にしても演奏にしても、人工美として大成功であった。このようなインパクトの有る第5は滅多に有るものでは無い。殊に3楽章の躍動感たるや、カラヤンでさえ一歩譲る素晴らしさだ。これこそ鞭のように撓り弾けるC・クライバーの特徴が生きた名演だ。




カラヤン/ベルリン・フィル 76~7年録音 DG盤LP
70年代のDGとしては、ベームもクーベリックもC・クライバーも存在して居る中での録音である。あのカラヤンとヘルマンスであるから、当然これらを意識し、凌駕するものを狙ったと考えて良いであろう。
C・クライバーを聴いた後にこの演奏を聴くと、何かホッとする。基本的には似たようなテンポであるが、カラヤンの間の取り方は伝統に則した無理の無いもので、内心「これだよなぁ」と嬉ぶ。そして兎に角、BPOの音の迫力たるや、並み居る爆音系演奏を尽く吹き飛ばす。音がデカイだけではない。舌を巻く程上手いから天下無双なのである。
録音は態と3ヶ月間を空けて客観的に見つめ乍ら行って居る。勢いや伝統のみでは無く、現状での最高峰、否、未来に亘って迄も天下無双と言われ続ける演奏を目指したに相違ないのである。
この2楽章は絶品である。美しいものはより美しく、と云うカラヤンの美意識が、生では絶対有り得んだろ、と云う極微細な美音で綴られて行く。ついつい最後迄聴き通して仕舞う音響美である。流石のベートーヴェンもここまでは想像出来無かったであろう。
gustav師は、この演奏は疲れると仰るが、第5は疲れる音楽であるから「正解」なのである。




ベーム/ウィーン・フィル 70年録音 DG盤LP
本題のベーム盤である。
私はDGヘルマンス録音のベーム/VPOの音盤を好んで聴いて居る。そこにはVPOの絶頂期の世にも美しき音楽を味わう事が出来るからである。
この音盤が出た当時の興奮は今でも鮮明に記憶に残って居る。しかも、一枚¥2000のレコードには、A,B両面に第5が一曲。途轍も無い贅沢品、高級品であった。当時、待ちに待った決定盤を手にした時の喜びは忘れられるものでは無い。
ベームは朴念仁の如く思われて居る節があるが、前掲のコンヴィチュニー楽長やイッセル親父の演奏と比すると、此方の方が余程感情や表情の起伏が豊かで聴いて居て飽きない。剛毅な中にひっそりと感じられる弦の揺らし方なんぞは絶品の域と言える。終楽章に向けて徐々にアクセルを踏んで行くやり方は中々に聴かせ上手だ。
この収録盤はDGのオリジナル盤で、年代相応のノイズは勘弁戴きたいが、素晴らしく瑞々しいVPOの色気タップリの音色は、人類の宝と言って差し支えあるまい。
反面、VPOの麗しき音色に食指の動かない御仁には、ちーとも理解出来ぬ類の正統派演奏と言え無くも無い。
ベームとは音盤で損をして居る人だと思う。
例えばシューベルトの「ザ・グレイト」79年のドレスデンライヴと云う音盤がある。オケは言う迄も無くSKD。81年に追悼盤と称してDGから発売されたものだ。ベームはスタジオ録音では凡庸、ライヴこそ燃えるタイプだと云う説があり、喜び勇んで購入したが、さっぱり良く無い。
実はこの演奏録音、Deutsche-Schallplattenの録音で、79年にETERNAからリリースされて居る。詰まりオリジナルはETERNA盤なのである。こちらを聴かなければ真価は理解出来無いであろう。DGとすれば、かなり遣っ付け仕事の感が否め無い。
この曲、63年のDG盤ヘルマンス録音の方は名盤の誉高く、古くから評価の高い演奏である。詰まり、ちゃんとした方針の下、ベームの音楽を理解した然るべき録音であれば、一発勝負のライヴよりは質の高い演奏を味わえると云う事なのである。
ベームと雖も百発百中、名演奏と云う訳にはならない。これはフルヴェンだろうがカラヤンだろうが同じ事で、ベームばかり非難される謂れは無い。
この第5とパストラルの二枚を以てして、歴史に残る大指揮者と言っても良いのである。




クリュイタンス/ベルリン・フィル 58年録音 EMI盤LP
当ブログとしてはこの盤が本命、一押し盤である。
私が始めてこの演奏を聴いたのは東芝音工時代のセラフィム盤で、これは中々に音が良い。演奏も聴き慣れたBPOの安心感抜群のバランスで、何度聴き返しても全く飽きが来ない。
後に英国盤を聴きたくてEMIのHMV CONCERT CLASSICS SERIES盤(青ニッパー)を入手したが、これは全く気の抜けた音で、魅力は半減であった。
調べると、録音エンジニアはホルスト・リントナーと云う人らしいが、音盤による音の差はエンジニアの責任では無い。本家EMIにしてこの有様であるから、況や東芝EMIなんぞは論の外である。年代の下った盤には全く期待出来無い。
この収録盤はEMIのASD.267 所謂「白金」盤(しろきんばん)である。
参考迄に、下にセラフィム盤と青ニッパー盤の1楽章を貼って置くので、聴き比べて戴きたい。
Shuさんが御気付きの如く、盤によって音楽の印象、演奏の好悪の判断が変わって仕舞うのである。




クリュイタンス/ベルリン・フィル 英EMI盤(青ニッパー) 第1楽章
これは音が薄い。東芝よりは遥かに音場は広く音が抜けて居るのだが、音楽自体も遠くなって仕舞い、芯の強いBPOの魅力が減じて居る。ホルンもフレンチのように軽く感じる。




クリュイタンス/ベルリン・フィル 東芝音工セラフィム盤 第1楽章
私が最初に聴いたのは、この音盤である。
何時もの東芝の音調で、抜けが今一つで、音の角が丸くソフトだが比較的上手く纏まった音である。図太いBPOが感じられるのは嬉しい。


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