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Channel: 音盤再生家の音楽話
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カラヤンの悲愴の聴き方(オーディオ雑談)

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此の処オーディオに関する話題から遠ざかって居る。昨今はオーディオ自体も人々から離れている。
要するに、ショルティもバーンスタインもオーマンディもカラヤンも居ないのであるから、音盤も売れない。何時の間にやら主要レーベルも姿を隠し、名も無き演奏家の演奏がネットで流れる。
まともな音盤が出て来ないのであるから、まともなオーディオも登場しない。
或る一定以上の年齢の音楽愛好家は、古の名演の希少盤を探しては悦に入って居る、のが関の山である。
JAZZはもっと悲惨で、巨匠ゲルダーが亡くなった瞬間に、過去の遺物と化して仕舞った。JAZZ愛好家は、60年前に一瞬花開いた文明の遺跡を発掘する考古学者。世界遺産を旅する観光客の気分である。
良き音源が出て来ぬからには、良きオーディオも出て来ぬ道理である。


米国のShuさんからカラヤンの71年録音、チャイコ6番の英EMIオリジナル盤を送って戴いた。
イメージ 1
何時も私はDGの76年盤が良いと喧伝して居るのだが、gustav師匠は71年盤が良いと譲らぬ。そんな議論を読み、疑問を抱いたのはShuさんである。自ら音盤を取り寄せ、御自身の感性で結論を下された。
ここはgustav師匠の勝ちだと云う結論である。
私が米Angel盤を聴いて居ると云うので、耳をかっぽじって良く聴きなされ、と態々英EMI盤を御送り下さった訳である。

耳をかっぽじって良く聴いてみた。
EMI盤は独Electrolaで録音。トーンマイスターはギューリッヒだ。当然DGのヘルマンスとは違った理念、手法で収録されて居る。
ここを踏まえなければならぬ。
それと英EMI独特の、過剰な迄の低音のデフォルメも考慮に入れなければギューリッヒの理念を聴き取れない。
私の聴き方は、音盤鑑賞とは出来上がった音盤自体が作品として聴かねばならぬ、と云う信念に基いて居る。であるから、ギューリッヒの伝えたかったカラヤンの悲愴と、ヘルマンスの伝えたかったカラヤンの悲愴とが、決して同じ土俵上の相撲であるとは考えて居らぬ。

ギューリッヒは、無指向性マイクを遠くから使って音を拾い、360度全方向からの音を録った。意識したのは、『丸い』音の空間である。であるから、実際にカラヤンの演奏を生で聴いたgustav師匠が、「生のBPOはこんな音だ」と仰るのは全く正しき捉え方なんである。
ヘルマンスはと言えば、マルチマイクで各パートの音を丹念に拾い、個々の奏者の技量までも克明に堪能する事が出来、それがホールの壁に美しく反響して行く「美音」を以てカラヤンの凄腕を訴えたのである。
その結果、76年盤では、各楽器を自在に操り、曲の持つ真相迄を抉り出した比類無きPathetiqueを表現した。


英盤を御送り戴いたShuさんには、ターンテーブルシートにはラッカー原盤を使いなされ、と余計なアドバイスをした。
拙記事を御読みの方で、まだ御試しで無い方が居られたら、一度是非試して戴きたい。実に顕著に効果が認められる事でしょう。
折角、英盤を御送り戴いたので、この盤を用いてシートの差異を聴いて戴こうと云うのが本記事のネタである。

私自身は特注のガラス製シートを使って居る。プラッターに合わせた円形ガラスの片面にラッカーコーティングしたものだ。
イメージ 2
これはEMTの927を聴き、ガラスターンテーブルの効用に気付き、咄嗟に閃いて、クラシック音楽ファンのガラス業者に趣旨を説明し、作って貰ったものだ。

そして、これがLPのラッカー原盤である。
イメージ 3

写真では両者の差は定かでは無いが、ラッカー盤の作りは見事なものである。一見ラッカーコーティングされて居るとは思えぬ程の平滑性だ。これにLPの原型をカッティングするのであるから当然の事であるが、非常に厳密な作りだ。
そして、中身はアルミ製なので、スタビライザーを使用する事で僅かなしなりを生ずる。この僅かなしなりで音盤と、よりフィットする。これがミソである。


検証、収録に使用したのは
GRACEのF-14 BROADCAST Excellent US-14 RubyⅡ
シェルはGRACEの放送局用でマグネシウムビスで装着
リード線は写真とは違ってGRACEの純銀単線使用
イメージ 4

プレーヤーはPIONEER PL-50  ボディには砂状トルマリンを充填した重量級の砂上の楼閣システム
イメージ 5

尚、カラヤン関連の動画は、順調に削除されて仕舞うようなので、御早目の鑑賞を御奨め申し上げます。


最初はハネナイトゴムのシートでの再生
これについてどうこう述べる訳では無い。ハネナイトを使用した時にはこのような音質である事を確認して戴きたいのである。本説はシートの違いが再生音質に如何なる変化をもたらすかと云う事である。
EMI盤自体は、某東芝盤とは異なり、確りと輪郭を描きながらも豊かに広がる音場感が確認出来、全く違和感は無い。要するにギューリッヒの音作りが理解出来無い者が下手な音盤を作ると、某東芝の如き有様になると云う事なのである。



次は件のラッカー原盤での再生
前者と比すと明るく視界が開け、高低に音が伸びて行く。音楽に張りが出来、弾むような躍動感が再現される。図太いだけの低域では無く、良く伸びてホールを包み込むのでストレスが無い。
前者とは全く同じ条件で、シートをラッカー原盤に替えただけでここまで表情が変わって仕舞うのである。
聴き手が積極的に再生に関わって行く事が出来るからオーディオが面白いのである。LPの再生は腕の見せ所なのである。



次は私のグラスシートでの再生
ラッカー原盤と比べ、どちらが正しき再生音であるか、と云う問題ではない。言えるのは確かに音は変化すると云う事。何かをやれば何かが変わるのがオーディオの妙味である。
元気一杯、生き生きとした躍動感を感じさせるラッカー原盤と比すと、此方はシットリ感が増す。明らかに高低に、より音域が広がり自然な響きとなって居る。ピッツィカートの強調感も取れ、クラリネットの広がりもスムースである。その分ダイナミックが減じて居る様にも感ずるが、音の行き場が広がって居るのでそのように聴こえるのである。空気を圧縮したような低周波が感じられたなら、そのシステムは相当良く出来て居ると言って良い。
常日頃、多少緩い再生音であるシステムにはラッカー原盤を使用する事で、より生き生きとした演奏に接する事が出来るであろう。



最後はラッカー原盤に戻り、米Angel盤の再生を参考までに
細やかで鮮やかで迫力満点で、加えて豊かな響きである。
CAPITOLは良い仕事をして居るのである。ギューリッヒの仕事が良く判って居るから斯くなるのである。
これであるから音盤再生も音盤探しも止められないのである。


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