前回の記事から随分と時が経って仕舞った。
この間、御心配戴いた方、御質問等を戴いた方には御無礼の段、御容赦賜りたくこの場を以てお詫び申し上げます。
この間、御心配戴いた方、御質問等を戴いた方には御無礼の段、御容赦賜りたくこの場を以てお詫び申し上げます。
家内の癌手術、治療から発し、私の目の調子が悪くなり、多少良くなったと思えば、血尿が出て、兎に角気力自体も萎えて仕舞い、この頃漸く気力が戻りつつある状態。
今回は長らく休養の為、リハビリ的な雑文であります。
今回は長らく休養の為、リハビリ的な雑文であります。
元来冬は体調がすぐれないのであるが、此の度ばかりはさしもの私も多少覚悟を決めた。
年明けに息子に、ワシが死んだら時計のコレクションはお前に譲る、と言い渡した。
不肖の息子は、音楽関係には全く頓着が無い。当然オーディオもオの字も解さない唐変木であるから、安心して後を託せるのは時計とライターのコレクション位のものである。
取り敢えず、目ぼしき時計を磨き上げ、整備した。
新品同様に磨き上がった古き時計は、中々にオツなものである。コレクションであるから普段は殆ど装着などしないのだが、自分自身も時計も相当に歳を取って来た現今、死ぬまでの間これらを使う事に決めた。
年明けに息子に、ワシが死んだら時計のコレクションはお前に譲る、と言い渡した。
不肖の息子は、音楽関係には全く頓着が無い。当然オーディオもオの字も解さない唐変木であるから、安心して後を託せるのは時計とライターのコレクション位のものである。
取り敢えず、目ぼしき時計を磨き上げ、整備した。
新品同様に磨き上がった古き時計は、中々にオツなものである。コレクションであるから普段は殆ど装着などしないのだが、自分自身も時計も相当に歳を取って来た現今、死ぬまでの間これらを使う事に決めた。
私は元来アナログ好きである。であるから、音盤もLP盤を主に聴くし、再生針にも拘りがある。
時計に関しても又然りで、水晶発振(QUARTZ)時計なんぞには見向きもしない。ゼンマイ駆動の機械式時計をこよなく愛するのである。
機械式時計もトーンアームもカートリッジも、60年代に完成されたと思う。私は未だに60年代のGraceやSOUNDのアームを何の不自由もなく使って居る。時計も50~60年代の手巻きなのである。
ゼンマイを巻く行為が面倒であると言う御仁も居るらしいが、私からすると、電池時計の電池が切れた時こそ厄介である。時計屋に持ち込むと¥1000程取られる。私は工具があるので、裏蓋は自分で開けるが、老眼には些か厄介な作業だ。電池は百均で2個入り¥100で手に入るので、時計屋に委ねる事は無いが、何時電池が切れるか判らぬのは何とも心許ない。
機械式時計にも自動巻きと言う便利な仕掛けがある。ゼンマイ如きを面倒だと言う御仁は自動巻きが良かろう。
私は手巻き時計が好きなので、コレクションも手巻き中心である。
私が小学校の時分は、日直が朝、教室の時計のゼンマイを巻くと云う仕事があったものだが、今時の子供は時計がゼンマイで動くと云う事自体を知らぬに相違ない。
時計に関しても又然りで、水晶発振(QUARTZ)時計なんぞには見向きもしない。ゼンマイ駆動の機械式時計をこよなく愛するのである。
機械式時計もトーンアームもカートリッジも、60年代に完成されたと思う。私は未だに60年代のGraceやSOUNDのアームを何の不自由もなく使って居る。時計も50~60年代の手巻きなのである。
ゼンマイを巻く行為が面倒であると言う御仁も居るらしいが、私からすると、電池時計の電池が切れた時こそ厄介である。時計屋に持ち込むと¥1000程取られる。私は工具があるので、裏蓋は自分で開けるが、老眼には些か厄介な作業だ。電池は百均で2個入り¥100で手に入るので、時計屋に委ねる事は無いが、何時電池が切れるか判らぬのは何とも心許ない。
機械式時計にも自動巻きと言う便利な仕掛けがある。ゼンマイ如きを面倒だと言う御仁は自動巻きが良かろう。
私は手巻き時計が好きなので、コレクションも手巻き中心である。
私が小学校の時分は、日直が朝、教室の時計のゼンマイを巻くと云う仕事があったものだが、今時の子供は時計がゼンマイで動くと云う事自体を知らぬに相違ない。
寝る前に愛着のある時計のゼンマイを巻くと云う習慣は、再生針を磨くのと同様、私の心を落ち着かせるに効果がある作業だ。
そもそも私が腕時計に興味を持ったのは、カラヤン先生の所為なのである。
最初にカラヤンのDGデビュー盤のドヴォルジャークの「新世界」を手にした時の衝撃は、過去の記事にも書いた事なので繰り返さないが、このジャケ一つで私の受けた影響は計り知れないものがある。
最初にカラヤンのDGデビュー盤のドヴォルジャークの「新世界」を手にした時の衝撃は、過去の記事にも書いた事なので繰り返さないが、このジャケ一つで私の受けた影響は計り知れないものがある。
このジャケのカラヤンがカッコイイのである。
髪型もさる事ながら、黒のトックリ、先の尖っていない短めのタクトまでも揃えたが、何と言ってもこの左腕の時計である。黒文字盤の黒バンド。何とも粋なんである。
この時計が何であるか、未だに判別出来ないのであるが、私は勝手にオメガであると決め付けていた。
60年代のオメガは絶好調である。宇宙飛行士はオメガのスピードマスター(スピマス)を付けている。カラヤン程の人はオメガを付けて居るに相違あるまいと思い込んで居る。
オメガのスピマスと言えば、月面に降り立った唯一の時計、であるとか、アポロ13が無事帰還出来たのはスピマスのお陰である、とか、伝説は枚挙の暇がない。
私の中ではカラヤンの時計はオメガと勝手に決めていたのであるが、ジャケからは何の確証も得られない。ひょっとすると、ドイツの名門グラスヒュッテとかユンハンス、あるいは戦闘機で有名なユンカースの時計かも知れぬ。
髪型もさる事ながら、黒のトックリ、先の尖っていない短めのタクトまでも揃えたが、何と言ってもこの左腕の時計である。黒文字盤の黒バンド。何とも粋なんである。
この時計が何であるか、未だに判別出来ないのであるが、私は勝手にオメガであると決め付けていた。
60年代のオメガは絶好調である。宇宙飛行士はオメガのスピードマスター(スピマス)を付けている。カラヤン程の人はオメガを付けて居るに相違あるまいと思い込んで居る。
オメガのスピマスと言えば、月面に降り立った唯一の時計、であるとか、アポロ13が無事帰還出来たのはスピマスのお陰である、とか、伝説は枚挙の暇がない。
私の中ではカラヤンの時計はオメガと勝手に決めていたのであるが、ジャケからは何の確証も得られない。ひょっとすると、ドイツの名門グラスヒュッテとかユンハンス、あるいは戦闘機で有名なユンカースの時計かも知れぬ。
後年、私は念願の60年代製のオメガを手に入れた。デヴィル(DE VILL)と云う機種である。当然カラヤン先生を意識して黒ダイヤルで黒バンドである。
中古であるが高級品である。滅多に付ける訳には行かぬ。普段は大切に保管してある。
中古であるが高級品である。滅多に付ける訳には行かぬ。普段は大切に保管してある。
私はこう云うシンプルな時計が大好きだ。中3針で、インデックスはバーインデックス。ローマ数字もアラビア数字も要らない。
キャリバー(ムーヴメント)は60年代の名機565である。24石で美しい非磁性メッキが施された逸品だ。
キャリバー(ムーヴメント)は60年代の名機565である。24石で美しい非磁性メッキが施された逸品だ。
これは重宝な事に手巻きも可能であるから、当然就寝前の儀式に加わって居る。
このオメガ、物凄いと実感するのは、50年前の機械であるのに、未だに狂わずに作動する事である。私が時間合わせ用に持って居るソーラードライヴの電波式時計と比しても日差-5秒程度なのである。
更に、このデヴィルは装着感が誠に良い。精度の面からはSEIKOも引けを取るものでは無いが、この腕に吸い付くように馴染む感触と重さを感じない点では勝負にならない。
このオメガ、物凄いと実感するのは、50年前の機械であるのに、未だに狂わずに作動する事である。私が時間合わせ用に持って居るソーラードライヴの電波式時計と比しても日差-5秒程度なのである。
更に、このデヴィルは装着感が誠に良い。精度の面からはSEIKOも引けを取るものでは無いが、この腕に吸い付くように馴染む感触と重さを感じない点では勝負にならない。
そして、画像を拡大して見ると微かに判るが、風防の中心に、肉眼では見えないような小さなΩマークが刻印されている。こう云う拘りがオメガらしく嬉しい。
このオメガから私のコレクションが始まったのである。
このオメガから私のコレクションが始まったのである。
オメガを数日着けて居ると、萎えて居た気力が蘇って来た。
50年前の時計が恐るべき精度で動いているのを見るに付け、ワシもまだまだ頑張れるのではないかと思い始めて来た。
50年前の時計が恐るべき精度で動いているのを見るに付け、ワシもまだまだ頑張れるのではないかと思い始めて来た。
私のコレクションには掟がある。基本的に黒ダイヤル、バーインデックスの機械式で、ベルトは革ベルト。更にOMEGAかSEIKOかORIENTと決めて居る。然し、出物があった場合はこの限りではない。私の普段使いのSEIKO5はブルーダイヤルだが、オークションで数千円で入手したものだ。
但しこれは復刻モノで、昔大流行したセイコー5とは似て非なる物である。
とは言っても、分厚くゴツく重たいセイコー5はそのままである。
因みにこの5の意味は、日付、曜日、自動巻き、防水、耐震、の5つの機能を意味するもので、60~70年代に一世を風靡した名品である。
復刻版は中国製であるが、安くて堅牢で普段遣いには最適である。
とは言っても、分厚くゴツく重たいセイコー5はそのままである。
因みにこの5の意味は、日付、曜日、自動巻き、防水、耐震、の5つの機能を意味するもので、60~70年代に一世を風靡した名品である。
復刻版は中国製であるが、安くて堅牢で普段遣いには最適である。
さて、OMEGAで元気が出て来た私は、もう一つの括りであるSEIKOも日替わりで使う事と決した。
話は遡るが、OMEGAを手に入れてから、私はSEIKOが気になって仕方が無かった。何となれば、SEIKOこそがOMEGAの牙城、更にSWISS時計の牙城を突き崩した存在に他ならないと知ったからなのである。
話は遡るが、OMEGAを手に入れてから、私はSEIKOが気になって仕方が無かった。何となれば、SEIKOこそがOMEGAの牙城、更にSWISS時計の牙城を突き崩した存在に他ならないと知ったからなのである。
私はKING SEIKOと云う時計をこよなく愛する。
一概にSEIKOと言っても、SEIKOブランドの腕時計には二つのメーカーがある。掛時計や置時計を製造して居た精工舎から分離した「第二精工舎」と戦後、第二精工舎から別れた「諏訪精工舎」の二社である。
諏訪精工舎は打倒第二精工舎、更に打倒スイス時計に燃えていた。そして、60年にGRAND SEIKOを発売した。スイスの天文台規格を上回る独自の規格を設け、材質や加工も最高の代物である。
そして翌61年、第二精工舎もスイスの天文台クロノメーター優秀級を目指して伝説のKING SEIKOを発売した。
態々「伝説の」と云う修飾語を入れたのは訳がある。75年にKING SEIKOは生産を終了し姿を消して仕舞ったからである。
KING SEIKOはGRAND SEIKOと違い、国内最高級と云う位置付けではない。あくまで拘りは「世界最高精度の腕時計」であった。従って、SEIKOが67年にQuartzの腕時計を発売した事で、最早精度に拘る高級機械時計、KING SEIKOの存在価値を訴求出来なくなったのである。この潔さがKINGと云う名を冠した名機に相応しく「武士道」を感じる。
国内最高級として、Quartzを搭載して生き残ったGRAND SEIKOと比して、機械式時計の限界まで追い求めたKING SEIKOは、私のエンジニア魂を熱く揺さぶる逸品なのだ。
一概にSEIKOと言っても、SEIKOブランドの腕時計には二つのメーカーがある。掛時計や置時計を製造して居た精工舎から分離した「第二精工舎」と戦後、第二精工舎から別れた「諏訪精工舎」の二社である。
諏訪精工舎は打倒第二精工舎、更に打倒スイス時計に燃えていた。そして、60年にGRAND SEIKOを発売した。スイスの天文台規格を上回る独自の規格を設け、材質や加工も最高の代物である。
そして翌61年、第二精工舎もスイスの天文台クロノメーター優秀級を目指して伝説のKING SEIKOを発売した。
態々「伝説の」と云う修飾語を入れたのは訳がある。75年にKING SEIKOは生産を終了し姿を消して仕舞ったからである。
KING SEIKOはGRAND SEIKOと違い、国内最高級と云う位置付けではない。あくまで拘りは「世界最高精度の腕時計」であった。従って、SEIKOが67年にQuartzの腕時計を発売した事で、最早精度に拘る高級機械時計、KING SEIKOの存在価値を訴求出来なくなったのである。この潔さがKINGと云う名を冠した名機に相応しく「武士道」を感じる。
国内最高級として、Quartzを搭載して生き残ったGRAND SEIKOと比して、機械式時計の限界まで追い求めたKING SEIKOは、私のエンジニア魂を熱く揺さぶる逸品なのだ。
KING SEIKOは大まかに言って初代(1st Generation)、2nd Generation、3rd Generation、と云う3つに分類される。キャリバーを細かに分類すれば15機種、ケースの形状や仕上げの違いまで考慮に入れると相当なヴァリエーションとなるが、大まかに3世代があると言って良い。
私が所有するのは1st一種類、2nd一種類、3rd二種類の計4個である。勿論全て黒ダイヤルだ。
私が所有するのは1st一種類、2nd一種類、3rd二種類の計4個である。勿論全て黒ダイヤルだ。
61年発売の初代KING SEIKO。25石の手巻きである。私の所有品は61年4月製造の初期型KINGである。
先ず、このキャリバーを見ただけで高級品と理解出来る。50年代の高級時計Crownと見比べて戴くと良く判ると思う。
歯車の細工が違う。そして、両持ちのテンプ受け。これが頑固なKINGの特徴だ。オメガだろうが、ロレックスであろうがパテック・フィリップであろうが、テンプ受けは片持ちである。両持ちのテンプ受けはKINGならではの拘りだ。
装着感はOMEGAとは比較にならぬ程、腕に存在感がある。常に、我此処に有り、と云う存在感だ。ドッシリと大ぶりな、如何にもKINGと云う佇まいが嬉しい。
装着感はOMEGAとは比較にならぬ程、腕に存在感がある。常に、我此処に有り、と云う存在感だ。ドッシリと大ぶりな、如何にもKINGと云う佇まいが嬉しい。
そして、この55年前の機械の精度には驚く。電波式と比しても日差5秒程度で稼働中なのである。この信頼感が何にも代え難いKINGの魅力だ。
キャリバーは初代から僅かに改良されて、更に精度を追求している。2ndの後期からキャリバー名が44Aと付けられ、これが第二精工舎のロービートの最高傑作と呼ばれている。
ロービートとはテンプの振動が毎秒5振動以下のものを指すが、44Aは5振動で、日差-1秒~+5秒と云う驚異的な精度を誇り、諏訪精工舎のGRAND SEIKOにも移植された名機である。
第3世代からはKING SEIKOの自動巻きを諏訪で製造したり、GRAND SEIKOの手巻きを第二精工舎で製造したりと、それまでのライバル関係からSEIKOブランドの総合力への方向に舵が切られている。
KING SEIKOのロゴはKSと略されて居るのが不満だが、アップライトになりキラリと輝く。一見GRAND SEIKOと見間違う程の仕上げの良さ、漆黒の黒ダイヤルと細工の細かいバーインデックスが高級感を醸し出している。
HI-BEAT表記の下のマークが諏訪精工舎マークである。
このタイプは裏からは開けられない。素人がおいそれと裏蓋を開けて中を眺める事は不可能であるから、内部の画像は初期のスクリューバックタイプのものを拝借した。
一見、先の諏訪製56タイプと見分けが付かないかも知れぬが、実際はこちらの方がゴツい。バーインデックスも太く、矢張り第二精工舎製はKINGの本流だと想わせる。最大の特徴はデカいリューズである。
HI-BEAT表記の下のマークが第二精工舎マークである。
この10振動を生み出すゼンマイはハイトルクだ。従ってこのゼンマイを指二本で巻くにはそれ相当なデカいリューズが必要になる道理である。
手巻きの10振動。腕の良い時計師が調整すれば日差0.25秒まで追い込めると言われる。恐るべき名機と言って良い。
そして、何よりKING SEIKOの伝説的な武勇伝として語り継がれているのが、スイスの天文台クロノメーターコンクールを廃止に追いやったのはこの45KSだと云う話である。詰まり、45KINGの精度を目の当たりにして、OMEGAの牙城が崩れるのを悟った主催者が、急遽コンクールを取りやめて仕舞ったと言うのである。
耳を寄せると猛烈な勢いで働いているのが判る。現在でも電波時計と比して、日差+1秒程度であるから、Quartz時計と何ら変わりが無い。
この裏蓋はスクリューバックである。然し、メダルはKINGの紋章でないのが残念である。KINGの紋章の方が武勇伝には相応しいではないか。
休養中に、思い立ってPCに繋いでいるプリアンプをマッキンに替えた。ついでにパワーもラックスからSANSUIに替えた。これで音盤収録は更に音質アップしている。
今回の音源は、最近良く聴いて居る、バッハの無伴奏チェロ組曲。カザルスのGR盤をウォーミングアップとして収録した。
今回の音源は、最近良く聴いて居る、バッハの無伴奏チェロ組曲。カザルスのGR盤をウォーミングアップとして収録した。
バッハ 無伴奏チェロ組曲 第3番 36年録音(MONO)Angel国内盤LP
AngelのGR盤も然るべきMONO針で再生すると見事に良き音で再生する事が出来る。
この曲の原点。カザルスの力感溢れる演奏を聴いて戴きたい。
AngelのGR盤も然るべきMONO針で再生すると見事に良き音で再生する事が出来る。
この曲の原点。カザルスの力感溢れる演奏を聴いて戴きたい。