昨年末の記事で、マゼールのブル5をアップした。しかし顧ると、74年当時のマゼールなんぞ、今では考えられぬ程軽視されて居たし、ブルックナーなんぞ聴いて居ると、随分変わったものを聴いているねぇ、と言われたものだ。
このマゼールのブル5は、今となっては取り立てて評判にもならぬ。カラヤン盤もヴァント盤もある。ブルックナーも大作曲家として人口に膾炙して居る。恵まれた時代となった訳だが、恵まれ過ぎてマゼールの凄さが埋もれて仕舞って居る。
このマゼール盤が出た当時、ブル5を聴かんと欲すれば、56年録音のクナッパーツブッシュ盤、61年録音のコンヴィチュニー盤、64年録音のヨッフム盤、67年録音のクレンペラー盤、70年録音のマタチッチ盤位しか選択の余地が無かった。このような中で突如現れた豪華絢爛なVPOのブル5がマゼール盤だった。そして思わず唸ったのが、相次いで出た75年録音のケンペ盤である。
今回はケンペ盤迄のブル5の流れをなぞる事とした。(第4楽章)
このマゼールのブル5は、今となっては取り立てて評判にもならぬ。カラヤン盤もヴァント盤もある。ブルックナーも大作曲家として人口に膾炙して居る。恵まれた時代となった訳だが、恵まれ過ぎてマゼールの凄さが埋もれて仕舞って居る。
このマゼール盤が出た当時、ブル5を聴かんと欲すれば、56年録音のクナッパーツブッシュ盤、61年録音のコンヴィチュニー盤、64年録音のヨッフム盤、67年録音のクレンペラー盤、70年録音のマタチッチ盤位しか選択の余地が無かった。このような中で突如現れた豪華絢爛なVPOのブル5がマゼール盤だった。そして思わず唸ったのが、相次いで出た75年録音のケンペ盤である。
今回はケンペ盤迄のブル5の流れをなぞる事とした。(第4楽章)
クナッパーツブッシュ/VPO 56年録音 LONDON盤 LP
これは世にも悪名高いシャルク改訂版を使用した音盤である。某評論家を筆頭として、兎に角、改悪版だの奇形児だのと、論外の評価を与えられていた音盤である。
しかし、当時ガキであった私にとって、2枚組み3面カットで¥3,000也と云う途方も無き高価盤だった事の印象が強い。しかもこの大 冒険の結果も無残であった。チートも理解出来ず、そのままお蔵入りして仕舞ったのである。御蔭で今、活き活きとした音質を楽しむ事が出来る訳である。
良き針に巡り合えて、今この音盤を聴くと、これが・・・良いのである。駄目だ駄目だと言われて聴くと、無意識に「駄目だ」と刷り込まれて仕舞うのだ。
ブルックナー存命時の最大の敵はハンスリックと云うヒステリックな評論家であった。第5番の初演に際して、このヒステリック氏の矛先を少しでもかわさんが為、シャルク改訂版で演奏された。
結果、世評は惨敗であったが、このヒステリック氏は同時期のブラームスの第2交響曲も扱き下ろしていたと云うから、評論家の言説程当てにならぬ。
そして時 は流れ、20世紀の極東の小島に於いても、某評論家の言説で惑わされて来た。私はこの某氏の扱き下ろす音盤は一聴の価値ありと、逆説的判断基準と捉えて居る。しかし、某氏の称揚する音盤も大いに一聴の価値が有るので困って仕舞う。
これは世にも悪名高いシャルク改訂版を使用した音盤である。某評論家を筆頭として、兎に角、改悪版だの奇形児だのと、論外の評価を与えられていた音盤である。
しかし、当時ガキであった私にとって、2枚組み3面カットで¥3,000也と云う途方も無き高価盤だった事の印象が強い。しかもこの大 冒険の結果も無残であった。チートも理解出来ず、そのままお蔵入りして仕舞ったのである。御蔭で今、活き活きとした音質を楽しむ事が出来る訳である。
良き針に巡り合えて、今この音盤を聴くと、これが・・・良いのである。駄目だ駄目だと言われて聴くと、無意識に「駄目だ」と刷り込まれて仕舞うのだ。
ブルックナー存命時の最大の敵はハンスリックと云うヒステリックな評論家であった。第5番の初演に際して、このヒステリック氏の矛先を少しでもかわさんが為、シャルク改訂版で演奏された。
結果、世評は惨敗であったが、このヒステリック氏は同時期のブラームスの第2交響曲も扱き下ろしていたと云うから、評論家の言説程当てにならぬ。
そして時 は流れ、20世紀の極東の小島に於いても、某評論家の言説で惑わされて来た。私はこの某氏の扱き下ろす音盤は一聴の価値ありと、逆説的判断基準と捉えて居る。しかし、某氏の称揚する音盤も大いに一聴の価値が有るので困って仕舞う。
コンヴィチュニー/ゲヴァントハウス管 61年録音 eurodisc盤 LP
私はもう何十年も、コンヴィチュニー楽長のブルックナーは素晴らしいと言い続けて来たが、辺りの反応は今一つ良ろしからぬものがあった。ブルックナーのみならず、この楽長の音楽は全て一聴の価値があるのだが、最近はわが師gustavさんも賛同して戴けるようになって、極東の小島の北辺の野武士の戯言も、細やかなる効果がありと、喜んで居る。
武骨な顔をしては居るが、コンヴィチュニー楽長は繊細である。楽器のバランスなんぞは実に細やかなる配慮を感ずる。そして、譜面上の細かな変化に実に良く反応するのだ。
更に、コンヴィチュニー楽長は剛毅である。音楽の大きな流れは、徒に変化させない。しかし、イザとなれば図太く強靭な音楽で度肝を抜く。
こんな楽長とブル5の愛称が悪かろう筈も無く、誠に的確に中庸なる演奏に仕上がっている。こう云うのをスタンダードな名演と云うのである。
私はもう何十年も、コンヴィチュニー楽長のブルックナーは素晴らしいと言い続けて来たが、辺りの反応は今一つ良ろしからぬものがあった。ブルックナーのみならず、この楽長の音楽は全て一聴の価値があるのだが、最近はわが師gustavさんも賛同して戴けるようになって、極東の小島の北辺の野武士の戯言も、細やかなる効果がありと、喜んで居る。
武骨な顔をしては居るが、コンヴィチュニー楽長は繊細である。楽器のバランスなんぞは実に細やかなる配慮を感ずる。そして、譜面上の細かな変化に実に良く反応するのだ。
更に、コンヴィチュニー楽長は剛毅である。音楽の大きな流れは、徒に変化させない。しかし、イザとなれば図太く強靭な音楽で度肝を抜く。
こんな楽長とブル5の愛称が悪かろう筈も無く、誠に的確に中庸なる演奏に仕上がっている。こう云うのをスタンダードな名演と云うのである。
ヨッフム/コンセルトヘボウ管 64年演奏会録音 PHILIPS盤 LP
私はヨッフムのブル5は好まない。この人、口ではテンポは動かさない方が良い、と言いながら、実際の演奏ではかなりの荒業をやってのける。そこが私にとっては引っ掛る訳である。
しかし選択肢の限られていた当時は、ブルックナーの大家ヨッフムと、天下の名器コンセルトヘボウのブル5を聴かぬ道理は無い。コンセルトヘボウの妙なる音響に身を委ねるだけでも幸福な一時を過ごせると云うものである。
私はヨッフムのブル5は好まない。この人、口ではテンポは動かさない方が良い、と言いながら、実際の演奏ではかなりの荒業をやってのける。そこが私にとっては引っ掛る訳である。
しかし選択肢の限られていた当時は、ブルックナーの大家ヨッフムと、天下の名器コンセルトヘボウのブル5を聴かぬ道理は無い。コンセルトヘボウの妙なる音響に身を委ねるだけでも幸福な一時を過ごせると云うものである。
クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管 67年録音 Angel盤 LP
クレンペラー爺は究極のポリフォニー親父である。このブル5に於いても、偏執的な程ポリフォニックな表現で全体を構築している。そしてそれが実に効果的である。グロと言えばグロなんであるが、5番はブルックナーの中でもピカイチのグロさであるから、このような表現も「是」である。
これと似たような音盤は、ブゥレーズの「春祭」がある。決して楽譜を捻じ曲げて居る訳では無いのであるが、徹底して各楽器を浮かび上がらせ、結果グロを表出する訳である。私はこの手法は嫌いでは無い。
某評論家は、クレンペラーのブルックナーはそれらしいだけで本質的ではない、と尤もらしい論説をされているが、ブルックナーの本質なんぞは、彼の脳内での勝手なイメージであって、それを押し売りされても困る。従って、私は彼の推すヴァント盤も好きだし、彼の大嫌いなカラヤン盤も大好きである。私は双方共本質的だと思う。
私の苦手はチェリのブルックナーであり、これはチベットの佛教音楽を聴くようで耐え難い。
クレンペラーのブル5の壮大なスケール感と透明度は、他では得難いものであり、私の愛聴盤である。私の惚れた音を是非御聴き戴きたい。
クレンペラー爺は究極のポリフォニー親父である。このブル5に於いても、偏執的な程ポリフォニックな表現で全体を構築している。そしてそれが実に効果的である。グロと言えばグロなんであるが、5番はブルックナーの中でもピカイチのグロさであるから、このような表現も「是」である。
これと似たような音盤は、ブゥレーズの「春祭」がある。決して楽譜を捻じ曲げて居る訳では無いのであるが、徹底して各楽器を浮かび上がらせ、結果グロを表出する訳である。私はこの手法は嫌いでは無い。
某評論家は、クレンペラーのブルックナーはそれらしいだけで本質的ではない、と尤もらしい論説をされているが、ブルックナーの本質なんぞは、彼の脳内での勝手なイメージであって、それを押し売りされても困る。従って、私は彼の推すヴァント盤も好きだし、彼の大嫌いなカラヤン盤も大好きである。私は双方共本質的だと思う。
私の苦手はチェリのブルックナーであり、これはチベットの佛教音楽を聴くようで耐え難い。
クレンペラーのブル5の壮大なスケール感と透明度は、他では得難いものであり、私の愛聴盤である。私の惚れた音を是非御聴き戴きたい。
マタチッチ/チェコ・フィル 70年録音 SUPRAPHON盤 LP
ブル5はブルックナー本人の改訂版は無い。原則的には、上記クナの音盤のシャルク改訂版が存在するのみである。原典版と表記されるハース版もノヴァーク版も殆ど違いが無い。
しかし、このマタチ爺の演奏は何とするか! これはもうマタチ版と云うべき代物である。マタチ爺はどこかでクナを意識しているのは確かなんであるが、こう云う荒業は無用である。折角、チェコ・フィルの妙なる音響美でウットリとしたい処に、いきなり音楽が飛んで仕舞うのは大層頂けない。録音も美麗なだけに残念な傑作だと思う。
ブル5はブルックナー本人の改訂版は無い。原則的には、上記クナの音盤のシャルク改訂版が存在するのみである。原典版と表記されるハース版もノヴァーク版も殆ど違いが無い。
しかし、このマタチ爺の演奏は何とするか! これはもうマタチ版と云うべき代物である。マタチ爺はどこかでクナを意識しているのは確かなんであるが、こう云う荒業は無用である。折角、チェコ・フィルの妙なる音響美でウットリとしたい処に、いきなり音楽が飛んで仕舞うのは大層頂けない。録音も美麗なだけに残念な傑作だと思う。
ケンペ/ミュンヘン・フィル 75年録音 BASF盤 LP
カラヤンのライバルと目されたケンペは、どの楽団からも好かれる稀有な指揮者であった。しかも体調に不安を抱えながら、各地を飛び回る激務をこなした晩年は、名演・名盤が多く生まれた。
このブル5は、私が称揚するまでも無く、名演・名盤として名高い。適度に剛毅で適度に明るく、オケのノリが半端なくグルーヴィである。指揮者の生涯の中でも、このような「当り」はそう滅多に出るものでは無いと思う。
BASFのLPの音を御楽しみ戴きたい。
カラヤンのライバルと目されたケンペは、どの楽団からも好かれる稀有な指揮者であった。しかも体調に不安を抱えながら、各地を飛び回る激務をこなした晩年は、名演・名盤が多く生まれた。
このブル5は、私が称揚するまでも無く、名演・名盤として名高い。適度に剛毅で適度に明るく、オケのノリが半端なくグルーヴィである。指揮者の生涯の中でも、このような「当り」はそう滅多に出るものでは無いと思う。
BASFのLPの音を御楽しみ戴きたい。