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Channel: 音盤再生家の音楽話
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フルトヴェングラーを聴き直す②

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チャイコフスキー 交響曲第6番 悲愴 第1楽章、第3楽章
ベルリン・フィル 38年録音 Angel盤LP
この録音は流石に古い。しかしSP時代の録音と考えると最上の部類の音質であろう。バイナルは例の赤盤と云う代物だ。ハッキリ言って、悲愴に関してはカラヤンの方が余程良い。フルヴェンはチャイコが嫌いである。にも係わらず悲愴だけは何度も取り上げている。矢張りこの曲だけは名曲と認めざるを得ぬ力があるのであろう。演奏は特にフルヴェンならではの強烈な体臭を感ずる事はない。同じSPとなればメンゲルベルクの超名演があり、そちらの方があらゆる面で強烈な印象をもたらす。
では何故態々この盤を聴くのかと言うと、矢張りBPOの圧倒的な質の高さである。この演奏もハイドンのV字と同じで、捻りも飛び業も無い。極めて冷静な演奏である。3楽章の最後はテンポを上げるが、これは何時もの急加速ではなく自然な加速だ。そして最後の4発はテンポを戻し、噛み締めるように終わる。矢張り冷めている。しかし、この演奏が、もし音質の良いステレオ盤であったら、カラヤンやムラヴィンスキーに並び立つ名演である事は間違いが無いであろう。



シューベルト 交響曲第9番 第1楽章、第4楽章
ベルリン・フィル 51年録音 DG盤CD
バイロイトの第9も不朽の名演と呼ばれているが、さて、本家BPOでは?と云うと第一に挙げられるのがこの「ザ・グレート」である。モノラル録音に抵抗が無いのであれば、この演奏が「ザ・グレート」の最も感動的な名演であると言って良い。これを聴いて感動しない者がいるのだろうかとも思う
今回改めて聴き直したが、矢張り目頭が熱くなった。フルヴェンでなくては、と云う演奏が幾つか存在するが、この曲は正にその中の一つである。どの部分一つ取っても心が籠り血が通った演奏である



ブルックナー 交響曲第4番 ロマンティック 第1楽章
ウィーン・フィル 51年録音 LONDON盤LP
何時も言う事だが、私がブルックナーを聴き始めた頃は、国内の音盤は限られた物であった。フルヴェン、クナッパーツブッシュ、クレンペラー、ワルター、DECCAでは辛うじてショルティの7番ががあった位だと言えば大体御理解戴ける事と思う。従って、当然フルヴェンの音盤も聴かなければならぬ訳で、フルヴェン・マニアだから、と云う訳ではない。上記の中で私が気に入ったのはクレンペラー盤で、これは今以てお気に入りである。しかし、どれが一番インパクトが強いかと言うと、矢張りフルヴェンなのである。クナもフルヴェンも同じVPOであるが、クナは正規録音で、比較的端正な表現であるが、フルヴェンは熱い。何せここで演奏しているのは《フルトヴェングラー版》なのだ。この当時ノヴァーク版は出ていなかったので、普通の選択肢としては改定版か原典版(ハース版)と云う事になる。クナは55年録音で、ノヴァーク版もハース版もあった時点で敢えて改訂版とレートリッヒ版の折衷で演奏しているが、このフルヴェンの演奏では改訂版とハース版に手を加えた独自の演奏である。
それでは全然駄目か、と云うと、私はこれが結構好きである。某評論家、或いはその一派は非常に手厳しく、ブルックナーの音楽に人間的な感情を持ち込んだ、なんぞと散々な言い様であるが、私は個人的にこの4番と云う曲は、もっと色々なアプローチがあっても良いと感じている。例えば、ヤンソンス/RCOの、ウットリと眠気を催す美演を聴いていると、何か釈然としない後味が残るのだが、そう云う時こそ、このフルヴェン盤を聴くと、スッキリと溜飲が下がる。メリハリが効いているのである。中途半端な個性であれば、却って腹が立つが、ここまで徹底されると気持ちが良い。



ブルックナー 交響曲第4番 ロマンティック 第4楽章
ウィーン・フィル 51年録音 LONDON盤LP
4楽章は非常に聴き易く違和感が少ない。フルヴェンのロマンチックな表現が最も上手く嵌った感じである。そして何と言ってもコーダの強烈な表現が心に残る。これ程までにティンパニを強打した終結は後にも先にもフルヴェンしか居ないであろう。しかも、7番でも8番でも、こんなにフルヴェン臭は強くない。4番だけが飛び抜けて個性的で、魅力的なんである。乾坤一擲と云う観点からするとこの4番のコーダが最も該当するであろうし、この録音状態であれば常識的な終結は却って平凡な印象に陥っていたであろう。何度も言うが、ここまでやるから評価出来るのである。



ブルックナー 交響曲第7番 第1楽章
ベルリン・フィル 49年録音 Angel盤LP
上記の4番で違和感を感じる方も、この7番では比較的すんなりと聴けるのではないかと思う。この演奏は基本的にハース版を用いている。レートリッヒ版を用いているシューリヒトよりは寧ろ聴き慣れた7番の姿である。この演奏は43年であるから、先の4番よりは古いのであるが、この時点で既に原典版(ハース版)を用いている。こうして見ると、先の4番が戦後の演奏であるにも係わらず原典版を使わなかった意図が見えて来る。
考えなければならぬのは、フルトヴェングラーと云う人はブラームスとブルックナーの両方を同じような比重で演奏した最初の指揮者だったと云う事実である。詰まり、ヴァグナー派とブラームス派の軋轢が未だ残っていた時代なのである。
意外かも知れぬが、この先生は指揮者としてのデビューはブルックナーであり、ブラームスを指揮するようになったのはかなり後になってからの事である。作曲家としてのフルトヴェングラーも、相当にブルックナーに影響を受けており、彼の中ではブルックナーの交響曲は重要な位置を占めていた訳である。原典版(ハース版)に関しては徹底的に研究したのは言うまでもない。フルヴェン先生は、当時にあってはブルックナーの守護神的な存在であった訳で、その彼が原典版を知った上で、敢えて独自の「改訂版」を使用してまで表現したかったのが上記の4番で、原典版を使用してブルックナーの「素」の魅力を伝えようとしたのがこの7番の演奏なのである。従って奇を衒った処は全く無いと言って良い。寧ろ非常に模範的なブルックナー演奏とも言える自然な流れである。重厚なBPOの響きが効果的なのも言うまでもない。



ブルックナー 交響曲第7番 第4楽章
ベルリン・フィル 49年録音 Angel盤LP
この4楽章を聴いても解かると思うが、だからどうした、と云う程に基本的なブルックナー演奏で、フルヴェンの強烈な体臭を感じたいと思う向きには、寧ろ物足りない位であろう。これを聴くと、今日我々が聴いているブル7は、全てフルヴェン先生の基本の上に成り立っている事が理解出来る。そうなると、ステレオの録音を聴きたくなるのは当然の情で、痛し痒しとはこの事である。



ブルックナー 交響曲第8番 第1楽章
ウィーン・フィル 44年録音 UNICORN盤LP
この演奏は当然ハース版である。当然、と書くには訳がある。ブル8のハース版の初演はフルヴェン先生が行ったのである。歴史の彼方のような話と思うやも知れぬが、ブルックナーの8番の演奏の歴史はそう古いものでは無い。我々と同様、20世紀の話なんである。初演は1892年でウィーン・フィルだが、ハース版は1939年に出版され、この年にフルトヴェングラーが初演した訳だ。因みに日本初演は59年のカラヤン/VPOの演奏である。
この音盤は69年に発売されたが、現存する唯一のテープから作られた、と云う能書きがあるので、これがオリジ盤である。私はこの演奏が聴きたくて、当時とすれば天文学的な価格で、この輸入盤を買った記憶がある。単純にGNPで見ると現在の10%位の時代であるから、¥6600のレコードは餓鬼には到底手が届かず、親にせびらなくてはならなかった。しかし、この音質、演奏を聴くとその価値は充分にあったと思う。戦時中の録音乍ら戦後の下手な音盤より生々しい生命感がある。
ブルックナーは質朴で雄大な音楽、と云う概念はクナッパーツブッシュの演奏を信奉する特定の評論家達が勝手に創った概念であろうと思う。このフルヴェン盤やシューリヒト盤を聴くと、実に自然な感興、流れを感じ取る事が出来る。グルーヴィであると言うと怒られるかも知れぬが、自然と身体が動くような私には好ましい表現である。



ブルックナー 交響曲第8番 第4楽章
ウィーン・フィル 44年録音 UNICORN盤LP
4楽章も良い流れである。乗りに乗ったVPOが奥深い響きを奏で、活き活きと生命感に溢れた音楽だ。残念なのは後半、音楽が巨大になって行くのであるが、録音レヴェルは明らかに低くなっている事だ。4楽章出だしのレヴェルで最後まで通していたならば、恐らく音が潰れてしまっていたであろうが、この録音技術者は上手い事にコーダの前のパウゼでレヴェルを下げて乗り切っている。従って最後の化け物のような音響の増大は綺麗に小さくなっている。時代を考えると仕方のない事であるが、フルヴェン聴きの通でなければ物足りなく感ずる所であろう。



R・シュトラウス 交響詩 ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら
ウィーン・フィル 54年録音 Angel盤LP
大変面倒な長ったらしいタイトルの曲だが、有り難いことに「フルヴェンのティル」で通用してしまう。それ位有名で且つ孤高の名演であると思う。
私はこの演奏こそ、フルヴェンでなくては、と思う。否、この演奏を聴いてしまうと、他の演奏を聴く楽しみが無くなると言っても良いであろう。この物語は、ドイツの人であれば誰でも知っていると云う類の物らしいが、馴染みの無い私には取っ付き難い曲であった。しかし、このフルヴェンの演奏を聴いて初めて感動したのである。しかも、その後どんなティルを聴いても詰まらなく感じてしまうと云う副作用付である。




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