先頃の記事で、中古音盤を格安で入手した件を書いた。早速gsutav師匠から、盤の洗浄云々と云うコメントを戴いたのだが、実は、昨年の転居騒動以来、洗浄機の梱包を解いて居なかった。同時に入手したウェストミンスター盤モントゥの第9やGR盤カザルスのバッハも結構な汚れ塩梅なので、梱包を解いて始動する事にした。
私の使って居るのは、VPIの洗浄機で、同じ物をオーディオ評論家の三浦氏も使って居る。
私の使って居るのは、VPIの洗浄機で、同じ物をオーディオ評論家の三浦氏も使って居る。
その音盤屋さんが、2台所有して居て、有り難い事に古い方を安く譲って戴いた。爾来大変重宝に使わせて戴いて居る。
VPI洗浄機の良い所は、溝から掻き出した汚れを、洗浄液と共にバキュームで吸い取って仕舞う所である。超音波洗浄と云う物もあるが、溝に入った液体をそのまま乾燥させるのでは駄目だ。液体はとっとと排除しなければならない。従ってバキューム装置付きの物が良い。塵と液体の両方が吸い出される。
作業をしながら、矢張り欲望がムラムラと湧き出て来る。この所盛んにアップして居る悲愴交響曲も、永年の出し入れ、再生で、表面上には見えぬ塵が入り込んで、本来の音質では無い物が有り、これをどうにかしたいと云う欲求が抑えられない。
そこで、前記事でアップを見送ったコンドラシン盤と、最も古くから愛好して居るムラヴィンスキー盤を綺麗にして、記事を改訂する事とした。
ムラヴィン盤は、過去記事の音質と比較して戴けると、洗浄効果が如何なるものかを確認出来ると思う。
そこで、前記事でアップを見送ったコンドラシン盤と、最も古くから愛好して居るムラヴィンスキー盤を綺麗にして、記事を改訂する事とした。
ムラヴィン盤は、過去記事の音質と比較して戴けると、洗浄効果が如何なるものかを確認出来ると思う。
http://blogs.yahoo.co.jp/quontz/54989756.html
マゼールやホーレンシュタインはどうした、と云う突っ込みもあろうが、取り敢えずはロシアの指揮者とロシアのオケと云う括りで纏めてみた。
マゼールやホーレンシュタインはどうした、と云う突っ込みもあろうが、取り敢えずはロシアの指揮者とロシアのオケと云う括りで纏めてみた。
スヴェトラノフ/ソヴィエト国立響 67年録音 shinsekai盤LP
30代のスヴェトラの指揮である。クソ真面目で楷書風な演奏だが、金管の鳴らし振りは爽快とも言える。だが最大の聴き処である4楽章の掘り下げは甘い。きっちりと穏やかで、断末魔のような壮絶感と云う所までは至らない。曲が難曲だけに1番の演奏の時のように、形振り構わず鳴らし捲ると云う開き直りが無い。構え過ぎ、考え過ぎて音楽を小さくして仕舞ったようだ。最後の終結部での金管の鳴らしはちょっと面白い所がある。こう云うアクセントをもっとふんだんに散り嵌めれば良かったと思う。
30代のスヴェトラの指揮である。クソ真面目で楷書風な演奏だが、金管の鳴らし振りは爽快とも言える。だが最大の聴き処である4楽章の掘り下げは甘い。きっちりと穏やかで、断末魔のような壮絶感と云う所までは至らない。曲が難曲だけに1番の演奏の時のように、形振り構わず鳴らし捲ると云う開き直りが無い。構え過ぎ、考え過ぎて音楽を小さくして仕舞ったようだ。最後の終結部での金管の鳴らしはちょっと面白い所がある。こう云うアクセントをもっとふんだんに散り嵌めれば良かったと思う。
ロジェストヴェンスキー/モスクワ放送響 73年録音 shinsekai盤LP
ロジェヴェンは聴かせ方が上手い。ポリフォニックな鳴らし方が新鮮な感覚だ。大らかに金管を鳴らしては居るが、煩さは無く、心地良い響きだ。聴き所は2楽章で、中間部の重苦しいティンパニをここまで強調して居る演奏は珍しい。対比が効いて結構な演奏である。
1楽章、3楽章は無難な出来で、取り立てて褒める所も貶す所も無い。しかし、4楽章は如何にも穏当な表現で生ぬるい。聴き易いのであるが、この音楽はもっともっと壮絶な内容だ。
ロジェヴェンは聴かせ方が上手い。ポリフォニックな鳴らし方が新鮮な感覚だ。大らかに金管を鳴らしては居るが、煩さは無く、心地良い響きだ。聴き所は2楽章で、中間部の重苦しいティンパニをここまで強調して居る演奏は珍しい。対比が効いて結構な演奏である。
1楽章、3楽章は無難な出来で、取り立てて褒める所も貶す所も無い。しかし、4楽章は如何にも穏当な表現で生ぬるい。聴き易いのであるが、この音楽はもっともっと壮絶な内容だ。
フェドセーエフ/モスクワ放送響 81年録音 Victor盤LP
スヴェトラもロジェヴェンもフェドも、ほぼ同年代の指揮者だが、中ではフェドが音楽的に一番面白い。テクニカルな面よりは、エモーショナルな聴かせ方をする人だ。オケに多少の粗があろうが、演奏の熱でついつい聴き入って仕舞う所のある人だ。
この演奏は、ロジェヴェンよりも尚一層ポリフォニックな表現が生きて居て面白い。1楽章の荒々しいダイナミックも赤裸々で好感が持てるものだ。2楽章は出だしから何処か寂し気なのが気に掛かる。中間部も取り立てて重苦しさを強調する事無く、さらりとかわして居る。3楽章は良いテンポで、カラヤンを想わせる気持ちの良い躍動感だ。
4楽章は沈鬱になり過ぎた。フェドであればもっと壮絶で無茶苦茶な暴れ方を期待して仕舞うのであるが、ここは少しばかり考え過ぎた。意外と常識的な範囲に収まって仕舞った。
スヴェトラもロジェヴェンもフェドも、ほぼ同年代の指揮者だが、中ではフェドが音楽的に一番面白い。テクニカルな面よりは、エモーショナルな聴かせ方をする人だ。オケに多少の粗があろうが、演奏の熱でついつい聴き入って仕舞う所のある人だ。
この演奏は、ロジェヴェンよりも尚一層ポリフォニックな表現が生きて居て面白い。1楽章の荒々しいダイナミックも赤裸々で好感が持てるものだ。2楽章は出だしから何処か寂し気なのが気に掛かる。中間部も取り立てて重苦しさを強調する事無く、さらりとかわして居る。3楽章は良いテンポで、カラヤンを想わせる気持ちの良い躍動感だ。
4楽章は沈鬱になり過ぎた。フェドであればもっと壮絶で無茶苦茶な暴れ方を期待して仕舞うのであるが、ここは少しばかり考え過ぎた。意外と常識的な範囲に収まって仕舞った。
フェドセーエフ/モスクワ放送響 91年録音 Victor盤CD
この盤は、自筆譜による世界初録音と云う謳い文句で出されたものだ。ブルックナー的に言えば原典版と云うやつだ。
要するに、現在通用して居る楽譜は、例の追悼演奏会で演奏する為に手が加えられたものである。
この盤は、自筆譜による世界初録音と云う謳い文句で出されたものだ。ブルックナー的に言えば原典版と云うやつだ。
要するに、現在通用して居る楽譜は、例の追悼演奏会で演奏する為に手が加えられたものである。
従って必要以上に悲劇的であり、嘆き、絶望と云う印象を植え付ける効果がある道理である。フェドはそこに注目した。チャイコの悲愴は、悲劇では無く、パセティックなのだと云う解釈だ。これは私も諸手を挙げて大賛成だ。しかし、ムラヴィン爺は、こんな事を殊更に説明しなくとも、音楽でこれを表現して居たではないか。そしてカラヤンはもっと踏み込んで、壮絶無比なる音楽に仕立てたではないか。
フェドはどうか… 中々にムラヴィン寄りの好演だと言える。1楽章は妙な粘りは無く、キビキビとして好ましい。2楽章は旧盤とは違いクッキリと明るい。中間部のティンパニもそこそこ鳴って居て良し。3楽章は残念だ。旧盤の方が余程出来は良い。
4楽章は良いと思う。音楽自体が良く出来て居るので、妙な演出は要らんのだ。このように率直で情熱的な演奏が本当であると思う。
フェドはどうか… 中々にムラヴィン寄りの好演だと言える。1楽章は妙な粘りは無く、キビキビとして好ましい。2楽章は旧盤とは違いクッキリと明るい。中間部のティンパニもそこそこ鳴って居て良し。3楽章は残念だ。旧盤の方が余程出来は良い。
4楽章は良いと思う。音楽自体が良く出来て居るので、妙な演出は要らんのだ。このように率直で情熱的な演奏が本当であると思う。
イワノフ/ソヴィエト国立響 録音年不詳 shinsekai盤LP
若い衆はコンスタンチン・イワノフは知るまい。この名を知って居るとすれば、相当なベテランか、或いは変人的なマニアだと思う。私はムラヴィンの次にイワノフを聴いて居たので、全く違和感は無い。ベートーヴェンに似て居ると言われた程のゴツイ面相であるが、演奏も又ベートーヴェン的でゴツイ。この盤を後半に持って来たと云うのは、矢張り私はこの演奏を最も好んで居るからである。流石に音質は今となっては古いと感ずるが、演奏は完全に私好みである。
何せ古株なだけに堂々として演奏に気負いが無い。この余裕が懐の深さとなって音の古さを超えて今も心に響くのである。殊に4楽章の深い音楽。終結部の情念がここまで切々と心に染み入る演奏も珍しい。カラヤン程の迫力は無いにしても、深さでは引けを取らないであろう。
若い衆はコンスタンチン・イワノフは知るまい。この名を知って居るとすれば、相当なベテランか、或いは変人的なマニアだと思う。私はムラヴィンの次にイワノフを聴いて居たので、全く違和感は無い。ベートーヴェンに似て居ると言われた程のゴツイ面相であるが、演奏も又ベートーヴェン的でゴツイ。この盤を後半に持って来たと云うのは、矢張り私はこの演奏を最も好んで居るからである。流石に音質は今となっては古いと感ずるが、演奏は完全に私好みである。
何せ古株なだけに堂々として演奏に気負いが無い。この余裕が懐の深さとなって音の古さを超えて今も心に響くのである。殊に4楽章の深い音楽。終結部の情念がここまで切々と心に染み入る演奏も珍しい。カラヤン程の迫力は無いにしても、深さでは引けを取らないであろう。
コンドラシン/モスクワ・フィル 65年録音 Victor盤LP
前回は余りのノイズにアップを見送ったが、この盤も洗浄でかなり聴けるようになった。
コンドラシンは私は好きなタイプの指揮者である。余りマイナスイメージの無い人なのだ。ムラヴィンやイワノフの次の世代のホープがコンドラシンと云う立ち位置だ。
例えば、ムラヴィンの弟子でザンデルリンクと云う人が居るが、この人は私にとっては鬼門で、何を聴いてもシックリと来ない。それに比してコンドラシンは、何を聴いても何かしらの感動や感心が残るのだ。
この悲愴も、ムラヴィン風であるが、ムラヴィンよりも遥かに血の通った演奏なのである。音楽センスが良い。全体の構成が見事で、部分部分は充分にエモーショナルでありながら、音楽の流れは実に良く計算されている。音質は余り良くないが、充分に好感の持てる演奏である。
前回は余りのノイズにアップを見送ったが、この盤も洗浄でかなり聴けるようになった。
コンドラシンは私は好きなタイプの指揮者である。余りマイナスイメージの無い人なのだ。ムラヴィンやイワノフの次の世代のホープがコンドラシンと云う立ち位置だ。
例えば、ムラヴィンの弟子でザンデルリンクと云う人が居るが、この人は私にとっては鬼門で、何を聴いてもシックリと来ない。それに比してコンドラシンは、何を聴いても何かしらの感動や感心が残るのだ。
この悲愴も、ムラヴィン風であるが、ムラヴィンよりも遥かに血の通った演奏なのである。音楽センスが良い。全体の構成が見事で、部分部分は充分にエモーショナルでありながら、音楽の流れは実に良く計算されている。音質は余り良くないが、充分に好感の持てる演奏である。
ムラヴィンスキー/レニングラード・フィル 60年録音 DG盤LP
剛直でストレートな表現で、完璧なアンサンブルが魅力だ。DGの録音が又素晴らしいもので、この当時良くここまでの録音が出来たものと感心する。ところで、たまにgustav師がこぼしているのがこの演奏の10吋盤の存在である。これは兎に角一言で言えば、バカヤロー!と云う程の劣悪なる音質の、最低な音盤である。書いて居る内に思い出したが、私が最初に聴いたのは、この10吋盤だったような気がする。それで、マルティノン盤が神懸りな名演に聴こえた訳である。
しかし、12吋LPで聴くムラヴィンスキーは凄まじく、怪物的な名演である。私的にはもっとエモーショナルな表現を好むが、ザッハリッヒ系の演奏は嫌いではない。愛聴盤の一枚である。
今回、洗浄後に改めて聴くと、見通しが良くなり、昔の感動が蘇って来るようだ。多くの演奏を聴いた後で、矢張りこの演奏の凄さを再認識した次第である。
剛直でストレートな表現で、完璧なアンサンブルが魅力だ。DGの録音が又素晴らしいもので、この当時良くここまでの録音が出来たものと感心する。ところで、たまにgustav師がこぼしているのがこの演奏の10吋盤の存在である。これは兎に角一言で言えば、バカヤロー!と云う程の劣悪なる音質の、最低な音盤である。書いて居る内に思い出したが、私が最初に聴いたのは、この10吋盤だったような気がする。それで、マルティノン盤が神懸りな名演に聴こえた訳である。
しかし、12吋LPで聴くムラヴィンスキーは凄まじく、怪物的な名演である。私的にはもっとエモーショナルな表現を好むが、ザッハリッヒ系の演奏は嫌いではない。愛聴盤の一枚である。
今回、洗浄後に改めて聴くと、見通しが良くなり、昔の感動が蘇って来るようだ。多くの演奏を聴いた後で、矢張りこの演奏の凄さを再認識した次第である。